今日は30系の最後の雄姿を見てきました。
30系は1967年に旧7000型・8000型として登場し、翌1968年に30系に改称。
1970年の大阪万博で大活躍し、その後も1984年まで増備が続けられ、第三軌条全線で活躍するなど、「大阪市の顔」として親しまれてきました。
1990年代に入ると、新20系の投入によって廃車が進みますが、1973年以降に製造された「新30系」と呼ばれる後期グループは冷房改造・車体更新を受け、旧7000型・8000型発祥の地である谷町線で走り続けてきました。
しかし、2008年からの30000系投入により、新30系更新車も置き換えの対象となってしまい、来月を以って、完全に引退することが決まりました。
最後まで残ったのはアルミ車の3045Fと3049Fで、引退までヘッドマークを貼りつけて走行する予定です。
私が初めて地下鉄に乗ったのは、確か1991年(当時4歳)と記憶しています。
天王寺-動物園前-恵美須町で、御堂筋線区間で30系に乗った記憶があるんです。
当時はまだ小さかったので、ドア窓の小さい30系はちょっと、つまんないなと思っていましたが、抵抗制御だったので、VVVFの不快な磁歪音がなかったのが良かったです。
その後、遠足などで偶に地下鉄に乗ったんですが、御堂筋線では10系という楽しみはあったものの、不快な音を立てる新20系が大量発生しており、正直、イヤな気持ちでいっぱいでした。
そんな中、中之島の電気科学館(今の大阪市立科学館)に行った帰り、四つ橋線で30系に乗れたんです。
この時は非冷房で、ドアが大窓という旧7000型・8000型編入組に当たったのを覚えています。
ですがこれ以後、30系には当たらなくなり、もう終わったのかと思っていた1997年(当時10歳)、松屋町へ行った帰り、谷町線を使う前に千日前線を少し見てから谷町線に戻ると、やってきたのが新30系更新車!
まさか冷房改造を施して谷町線に残っていたとは、この時全く思っていなかったので、また会えたという嬉しさと、更新されていた驚きとでもう何と言うか…。
(この出来事が、30系を好きになった要因。)
この時は3047Fだったと思います(車番の末尾が「7」だったのを記憶してますので)。
そして2003年、高校の関係で谷町線を使うこととなったので、3年間30系のお世話になりました。
3年もお世話になったので、更新車全13編成に乗ったと思います。
今思えば、高校時代にもっと撮っておけばと、ちょっと後悔しているところもありますが、でも、今日、最後の雄姿を見届けることが出来て、良かったです。
これで、大阪市営地下鉄の楽しみがほぼ、なくなりました…。
さらに10系チョッパ車まで消えてしまったら、よほどのことがない限り、地下鉄を使わなくなると思います。
それもこれも、新20系が全編成機器更新を終えるまで。ですけどね。
(あのGTO-VVVFだけは不快で不快で仕方ない。)
長くなりましたが、本日の30系。
これを撮影後、谷6まで乗りました。
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