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徒然なるままに、暴走。 鉄道模型や動態保存蒸機メインですが、時々萌に走ります。
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今日は岡山県倉敷市を走る「水島臨海鉄道」を訪問してきました。

・地元から比較的近い。
・3連休の中日で、さらに1日休める。
・「鉄道の日」記念で、キハ20・30・38が同時に走る。
とあっては、行かずにはいられなかったです。



当初予定より30分以上早く着いたため、計画に入れてなかったMRT300形(MRT306)も撮影。
MRT300形は1995年に登場した、水臨初のオリジナル気動車。
(それまでは全部国鉄などからの払下げ。)



お目当て①。
キハ30 100とキハ38 104の連結2両運転。

キハ20を置き換えるため、キハ37の3両と共にJR東日本から譲渡された。
JR時代の晩年は久留里線で活躍していたのだが、久留里線に乗ったことがないので、今回が初めての遭遇。
キハ30 100は改番されなかったが、キハ38は1003から104に改められている。
さらに、久留里色から国鉄色に改められているが、キハ38はJR時代に国鉄色を纏ったことがないので、かなり新鮮というか、違和感ありありというか…。

余談だが、現在国内で稼働しているキハ38は、この1両のみ。
キハ30も、関鉄常総線のキハ101、102が稼働していなければ、唯一の稼働車になる。

まずはキハ30の方に乗って、福井へ。
同業者僅か1名!


 お目当て②。
動態保存目的で生き残ったキハ205(←キハ20 321)。

最盛期には12両在籍していたキハ20も、MRT300形に押され、晩年は4両に。
その4両も、キハ30・37・38の譲受によって、今年、定期運用から離脱した。
しかし、「1両は動態保存する」という公言があり、国鉄色のキハ205が選定された。

外れた3両の内、旧水島色のキハ204(←キハ20 340)と208(←キハ20 318)は廃車された。
国鉄色のキハ203(キハ20 338)は不明。

この次はキハ20で水島へ移動し、少し休憩の後、再びキハ30で倉敷市へ戻り、昼食の後、14時40分には帰還。
直で帰還したわけではなく、日本橋に寄ったけどね。

キハ20は勿論のこと、キハ30に乗れたことが何より嬉しかったです。
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今日は釜石線から、三陸鉄道吉浜駅まで行ってきました。


往路は36-703。
クウェートからの支援を受けて導入された、三鉄一般車の最新車。
全線開通のヘッドマークが誇らしげ。


吉浜駅の駅舎。
まぁ、派手な塗装だこと。
窓を目に見立たせているのがスゴイ。


復路は36-R3という、1両しかいないレトロ車両でした。
こちらにも「全線復旧」(AEON)のヘッドマークが。

4月に完全復活した三陸鉄道。
ですが、沿線には未だに震災の爪痕が残っており、厳しい現実を目の当たりにしました。

 
これは平田駅からの様子。
津波の痕跡ともいうべき瓦礫が未だ大量に残されている…。

この後は、釜石でお土産を買い、新花巻から新幹線(まさかのE5系!!)で宇都宮~東武宇都宮-新栃木-南栗橋-東武動物公園-草加ルートです。

今日三鉄で往復した分の運賃と土産代、ホントに極々僅かな額ですが、少しでも三鉄と東北の力になってくれたらと願っております。
今日から3連休。
天候は雨でも、朝早くから家を出て、一路新金谷へ。
その理由は…、

 

日本で「実写版きかんしゃトーマス」が走ると聞いたので、これを見に行ってきました。

第一印象としては、「再現度が恐ろしく高い」。
もうこれを見た瞬間、頭の中で、
・「きかんしゃ、トーマス」
・「『アジアを走ったトーマス』という、お話」
とかいう、森本レオさんのナレーションが走りましたよ。

この「アジア版トーマス」の正体は、C11227。
後ろに繋がっているオレンジ色の客車は、アニーとクララベル(トーマスが牽引している客車)を模したようで、アニーがオハ47、クララベルがスハフ42といったところでしょうか。
スハフ42 186のみ塗装変更の犠牲にならなかった。)

既に予約で満席のようですが、見に行くことだけなら10月まで可能だそうです。
ただ、今日もそうだったけど、人集りが恐ろしいのでね…。

これを撮った後は、東京へ行き、例の如く東武伊勢崎線を撮影。
これは、こちらに。


今日は少しだけ、千日前線の野田阪神駅に行ってきました。
1番線からですが、少し時代が遅れている(?)2番線を見てきました。

千日前線は南巽駅より順次、ホームドアを設置するのですが…。

「野田阪神の2番線にも付けるのか?」

と、前々よりふと気になっております。

というのも、野田阪神駅の2番線からは、乗車することが出来ないんです。
(現在のダイヤ上、2番線から発車する列車は全て回送であり、南巽行きは全部1番線から発車するため)
そのため、ホームドアを設ける必要がないのでは?と

これで設けたら、案外無駄な工事になるかもね。
今日は日帰りで静岡県の大井川鉄道を訪問してきました。
「あたしも一緒に行ってきたわよ」

目的は勿論、

 
急行『かわね路』

本日の牽引機はC108
現存最後のC10であり、貴重な存在です。

下り千頭行きは大井川第二橋梁付近にて撮影し、上り新金谷行きは乗りました。
自身初の旧型客車で、結構興奮してました!


乗車したのは1号車のスハフ42 304
この日の編成は1号車から、スハフ42 304オハ47 380オハ47 398オハ35 22オハ35 459ナロ80 1スハフ42 186の7連で、両端にスハフ42が連結され、しかも両者共車掌室が編成の外側を向いている非常に見た目が良い、素晴らしい編成。
但し、7連と長いのでC108単機では牽引できず(単機では4両まで)、E10 2が後補機として連結されたプッシュプルのため、スハフ42が最後尾にならなかったのは残念。

 
スハフ42 304の車内。
近代化改造を受けているとはいえ、やはりレトロムードが漂っている。
ちなみに暖房は蒸気暖房。

初めての旧型客車がスハフ42だったので、正直嬉しかったです。
次回は是非とも単機牽引の姿を見てみたいものですね。
久しぶりにニュートラムに乗りました。

元々はメロンブックスにコミックマーケットの企業ブース紹介パンフレットを見に行ったのですが、既に完売…。
そのまま暇つぶしになんば~住之江公園~コスモスクエア~本町~天王寺と地下鉄・ニュートラム乗りつぶし。

住之江競艇の開催日だったためか、今日のニュートラムは臨時ダイヤでした。

偶にはこんな暇つぶしもありかな?
今日は30系の最後の雄姿を見てきました。

30系は1967年に旧7000型・8000型として登場し、翌1968年に30系に改称。
1970年の大阪万博で大活躍し、その後も1984年まで増備が続けられ、第三軌条全線で活躍するなど、「大阪市の顔」として親しまれてきました。
1990年代に入ると、新20系の投入によって廃車が進みますが、1973年以降に製造された「新30系」と呼ばれる後期グループは冷房改造・車体更新を受け、旧7000型・8000型発祥の地である谷町線で走り続けてきました。

しかし、2008年からの30000系投入により、新30系更新車も置き換えの対象となってしまい、来月を以って、完全に引退することが決まりました。
最後まで残ったのはアルミ車の3045Fと3049Fで、引退までヘッドマークを貼りつけて走行する予定です。

私が初めて地下鉄に乗ったのは、確か1991年(当時4歳)と記憶しています。
天王寺-動物園前-恵美須町で、御堂筋線区間で30系に乗った記憶があるんです。
当時はまだ小さかったので、ドア窓の小さい30系はちょっと、つまんないなと思っていましたが、抵抗制御だったので、VVVFの不快な磁歪音がなかったのが良かったです。

その後、遠足などで偶に地下鉄に乗ったんですが、御堂筋線では10系という楽しみはあったものの、不快な音を立てる新20系が大量発生しており、正直、イヤな気持ちでいっぱいでした。
そんな中、中之島の電気科学館(今の大阪市立科学館)に行った帰り、四つ橋線で30系に乗れたんです。
この時は非冷房で、ドアが大窓という旧7000型・8000型編入組に当たったのを覚えています。

ですがこれ以後、30系には当たらなくなり、もう終わったのかと思っていた1997年(当時10歳)、松屋町へ行った帰り、谷町線を使う前に千日前線を少し見てから谷町線に戻ると、やってきたのが新30系更新車!
まさか冷房改造を施して谷町線に残っていたとは、この時全く思っていなかったので、また会えたという嬉しさと、更新されていた驚きとでもう何と言うか…。
(この出来事が、30系を好きになった要因。)
この時は3047Fだったと思います(車番の末尾が「7」だったのを記憶してますので)。

そして2003年、高校の関係で谷町線を使うこととなったので、3年間30系のお世話になりました。
3年もお世話になったので、更新車全13編成に乗ったと思います。


今思えば、高校時代にもっと撮っておけばと、ちょっと後悔しているところもありますが、でも、今日、最後の雄姿を見届けることが出来て、良かったです。

これで、大阪市営地下鉄の楽しみがほぼ、なくなりました…。
さらに10系チョッパ車まで消えてしまったら、よほどのことがない限り、地下鉄を使わなくなると思います。
それもこれも、新20系が全編成機器更新を終えるまで。ですけどね。
(あのGTO-VVVFだけは不快で不快で仕方ない。)



長くなりましたが、本日の30系。
これを撮影後、谷6まで乗りました。
今日は、今年のGWにオープンした「SLキューロク館」に行ってきました。


「キューロク」の愛称を持つ9600型蒸気機関車49671。
8620型と同じく、初の純国産による蒸気機関車で、8620が旅客用ならば、こちらは貨物用。


北海道で活躍したスハ45系客車スハフ44 25。
主に急行「ニセコ」などに使用され、引退後は「船の科学館」のモニュメントだった青函連絡船「羊艇丸」艦内にて展示されていた。
「羊艇丸」解体に伴い搬出され、49671の後ろに配置・展示されている。
元々船の中で展示されていただけあって、状態は良好。車内に立ち入りも可能。
(願わくば動態h(ry)

他にも色々ありましたが、それらは後日纏めてmixiにでもアップしますので。

午後からはまたしてもAKBへ行くという…。
まぁ、行って正解だったんだけどね。

その後は北千住から伊勢崎まで、ずっと東武伊勢崎線で移動し、伊勢崎から両毛線で高崎へ。

今日は初めての路線がたくさんありました。
・両毛線(栃木-小山)
・水戸線(小山-下館)
・真岡鉄道(下館-真岡)
・関東鉄道常総線(下館-守谷)
・つくばエクスプレス(守谷-北千住)
・東武伊勢崎線(館林-伊勢崎)

明日は「SLみなかみ」に乗って、水上まで行きます。
牽引機はD51498の予定ですが、検査明け直後なのに不調らしく、急遽C6120に変更になる可能性もあります。
C6120に変更となった場合、水上到着後の行程を変更する予定です。
日帰りで高松に行ってきました。

後半のどこかで日帰り旅行に行くことは決めていましたが、場所を全く決めてなかったんです。
その後、「福井と岡山」の2候補が上がり、天秤にかけたところ、岡山が勝ったので、岡山へ。
しかしただ単に岡山市内を歩くのは面白くないので、岡山到着後、「津山と高松」を天秤にかけ、高松が勝ったので、高松へ。

5年ぶりの高松でした。
5年前と同じく、コトデンを少し撮影。


5年前には撮れなかった元名古屋市交250型の600型もバッチリ!

コトデン撮影後、讃岐うどんを食べ、ようやく岡山市内へ。

岡軌初乗車。
初めてでいきなり元東武100型路面電車の3000型、それも3007「KURO」に乗車!

岡山市内ではある店だけ寄ったものの、良い商品が無くすぐに撤収して、新神戸で降り、初の北神急行&神戸電鉄回りで三宮へ。

意外にも神戸電鉄を今まで使ったことが無く、今回初めて乗車。
運賃高い…。

三宮のセンタープラザを少し散策し、少し商品買って、JRで撤収。
結構疲れました。

これも付けて、旅行記書きます。
今日から3泊4日の行程で熊本にいてます。
今日は熊本電鉄と熊本市電を中心に。

本当は両方とも軽く撮影orスルーするつもりだったんです。
が、




↑これを撮りたいがために熊本電鉄乗っちゃいました。

これは、元東急の(旧)5000系。
(旧となってるのは、現在東急に5000系がいてるため。)
「青ガエル」の愛称で親しまれ、東急から引退後も多数の地方私鉄に譲渡されて活躍を続けていました。
しかし、老朽化を理由に譲渡車も多くが姿を消し、現在活躍しているのはこの熊本電鉄の2両(デハ5101A、デハ5102A)のみ。
その内デハ5101Aが、ケロロ軍曹のラッピングを施し、まさかの「カエル」と「カエル」のコラボレーション!

実はこれ、ケロロ軍曹の作者である吉崎観音さんが九州出身で、熊本で暮らしていた時期もあったことから実現したものだそうなんです。
車内もスゴイ事になってて、放送までもがケロロ軍曹という拘りっぷり!

ただ、一つ気になるのは増設運転台側に「ありがとう!青ガエル」と書かれていること。
もしかしたら、このラッピングの運用終了を最後に引退するのかな…?


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ステンレス車体・界磁チョッパor界磁添加励磁制御の通勤型電車(主にJR205系と東武10030系)を支援しています。
最近は動態保存蒸機を追いかけたり、Nゲージ鉄道模型にハマっています。
時折MMD触ったりもしてます。
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