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徒然なるままに、暴走。 鉄道模型や動態保存蒸機メインですが、時々萌に走ります。
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昨年の年末、2日間延長戦があったため、それの代償として2日の休みが貰えました。
それを使って高知に来てます。

高知県も徳島県と同じくキハ王国ですが、徳島県との違いは『電化路線もある』ということ。
その電化路線こそが、現在とさでん交通という名前に変わった土佐電鉄です。

土佐電鉄は広島電鉄に次ぐ国内2位の路面電車ですが、軌道線に限れば広電よりも長いのです!
(広電は宮島線が鉄道線)
そして、土佐電で有名なのは「ごめん」と「いの」の看板ですね。
(ごめん。い~のみたいな。)


200形202。
200形は1950年に登場した車両で、21両製造されたが廃車や2000形への更新が進み、現在は14両が在籍。
その内201と202だけは冷房車で、残りは全て非冷房。
屋根上の室外機が家庭にありそうな形状をしているのが面白い。


2000形2002。
上記200形の機器流用による更新車で、スタイルは札幌市電の3300形そっくり。
2001だけ行先表示が幕式。


日本三大がっかり名所の1つ、はりまや橋。

明日は高知城に行ってみようかな。
そして、行きたかった模型店とかは全て今日行けたので、場合によっては桂浜まで行くかも。
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2か月ぶりの3連休になったので、今日は日帰りで岐阜県に行ってきました。

今まで岐阜県はさんざん通過はするものの、一度も降り立ったことがなく、何らかの機会に一度は降り立たないとと考えたのですが…、
・飛騨高山まで行くと1日で帰れない。
・養老の滝は駅からかなりの距離がある+飛騨高山へ行く時に一緒に行けたら御の字。
・樽見鉄道に乗ったことがない。
というわけで、今回は樽見鉄道を途中本巣まで1往復した後、岐阜市内で昼食を摂ることに。


樽見鉄道ハイモ230-313。
樽見鉄道は旧国鉄樽見線からの転換が早く、開業当初は2軸レールバスを使用していた他、
かつては貨物輸送も実施しており、2006年までは12系や14系の客車列車まで運転されていた。
もちろん現在は全て活躍しておらず、2軸ボギー台車を履くレールバス6両が活躍。
その中で、このハイモ230-313が最古参になる。

形式の「ハイモ」とは「ハイスピードモーター」の略。
230はエンジン馬力を示し、それぞれ295,330となっている。


ハイモ295-617。
現在活躍するハイモ6両の中で、2002年製造ながら2009年樽見鉄道編入という一寸変わった経歴を持つ車輛。
その正体は、2008年に廃止となった兵庫県の三木鉄道ミキ300のラストナンバー、ミキ300-105で、客車列車が全廃された現在、樽見鉄道唯一のクロスシート車。
2014年まで三木鉄道カラーだったが、現在はCCNetの広告車。

余談だが、ミキ300は在籍していた3両全て売却されており、残る2両は以下の通り。
・-103:形式もカラーリングもそのまま、ひたちなか海浜鉄道へ。
・-104:フラワ2000-3となり、お隣の北条鉄道へ。


岐阜駅前にある織田信長の金像。

往路は樽見鉄道に入るため全て在来線で行き、復路は名鉄岐阜から自身初の名鉄で新羽島まで行き、新幹線で帰ってきました。

これで38番目の県に上陸しました。
全47都道府県に上陸するまで、残り9県。
今日北海道を発ちました。
が、やはり1日で戻るのは無謀な挑戦なので、本日は昨年末にもお世話になった守谷で1泊。


キハ2303-2304。
昨年の鬼怒川決壊の際、検査中で避難できず被災した編成。
復活第1号でもある。

当時被災した車両の内、これとキハ005-006は復活。


明日戻ります。
今日は長野市内へ出向いてみました。
長野電鉄に乗ってみようと長野駅へ行くと、人身事故でストップ…orz
運転再開までに土産物を買い、ガシャポンで遊び(何をしてるんだ?!)、運転再開後に車庫のある須坂へ。

 
3500系N3編成。
3500系は元営団3000系で、最大で
・3連のL編成(長野線用)が3本
・2連のN編成(長野線用)が8本
・2連のO編成(長野線湯田中口と、今は無き木島線・屋代線用)が6本
が在籍していたが、8500系の導入+木島線・屋代線の廃止より多くが廃車され、現在L編成が1本、N編成が4本、O編成が1本のみ在籍している。
O編成以外は冷房車で、8500系が入線できない信州中野以北ではまだまだ主力。

余談だが、N1編成は3000系のトップナンバーで、引退後に東京メトロに返還された。


8500系T3編成。
見ての通り元東急8500系で、現在までに3連6本が在籍。
デザインは東急時代ほぼそのままで、地下区間を走る姿は東急時代そのもの。

T1~T3編成はデハ8500形が東急時代と同番号である。
T5編成は東武対応だった8624Fのため、スカートが付いている。
T6編成は先頭車化改造車。見た目貫通扉が付いているように見えるが、実は非貫通であり、デハ8516にもパンタグラフが付いている。

長電の長期計画で、3500系の再置き換えが開始されるような内容があるようです。
8500系を増備するか、はたまた…。

明日、中津川経由で帰ります。
名古屋からは近鉄になるかも。
今日は有り余る有休を使い、日帰りで遠州鉄道~天竜浜名湖鉄道西側を通り、浜名湖の外周を1週してきました。
前半は遠鉄で新浜松~さぎの宮(途中下車)~西鹿島へ。

 
30形最終編成(モハ51-クハ61)。
30形は1958年~1980年までの長きに亘り製造された、遠鉄のかつての主力。
現在は1000形・2000形の台頭で一気に数を減らしており、新製冷房車のモハ25-クハ85と、このモハ51-クハ61の2編成のみ在籍。
モハ51-クハ61以外は全て湘南スタイルの釣り掛け駆動車だが、モハ51-クハ61は後の1000形との過渡期的な存在になり、30形唯一のカルダン駆動車になる。
但し、ブレーキは1000形と違い他の30形同様の自動空気ブレーキであり、釣り掛け車との連結運転が可能。

現在定期運用はなく、1000形・2000形が検査中の代走および臨時運用のみとなっている。


1000形モハ1006-クハ1506。
1000形は2000形と並ぶ現在の遠鉄の主力で、1984年~1996年までに2連7本が投入され、現在も全編成在籍。
30形とは一線を画す直線的な車体デザインと、両開き3扉の乗降口が特徴。
主要機器はモハ51-クハ61と同等だが、電気指令式ブレーキを採用しているため、2000形との連結運転には対応しているが30形(モハ51-クハ61含む)とは連結不可能。

増備途中で台車がモハ51-クハ61と同等の台車からボルスタレスに変更されている。

余談だが、モーター音が東武お馴染みの直流直巻電動機TM-63とよく似ている。


2000形モハ2002-クハ2102。
2000形は1000形のVVVF版で、1999年~現在までに2連6本が投入され、現在も全編成在籍。
VVVFインバーターや、途中からワンハンドルマスコンを採用した以外は1000形とよく似ている。
ブレーキも1000形同様の電気指令式ブレーキのため、2000形同士以外に1000形との連結運転も頻繁に実施されている。


後半は旧国鉄二俣線こと天浜線で西鹿島~浜名湖佐久米(途中下車・昼食)~新所原という反時計回りルート。


浜名湖佐久米駅。
毎年12月~翌年3月くらいまで、多くのユリカモメがやってくるので、『ユリカモメが舞う駅』として数々のテレビでも紹介されている。

 
駅の向かいは浜名湖。
その上を飛び交うユリカモメ。
これを見に来たといっても過言ではない。

往路、天王寺でホームから人が転落して非常ボタンが押され、電車が遅れたので後ろ倒しも考えましたが、天竜二俣へ立ち寄るのをパスしたことから逆に前に倒れ、浮いた時間を使って豊鉄が再度撮れたのは良かったです。
そして、暑かった。

戻って来てから日本橋へ立ち寄り、パーツ購入後なんば駅に向かうと、今話題の9000系サザンが見れたのは良いオマケになりましたよ。

今度行く時は天浜線東側だな。
天竜二俣にも行きたいし。
今日は寒い中、常総線の要である水海道車両基地を観てきました。
「寒い」って言っても、日差しに当たれば暖かかったです。

写真は全て敷地外から撮影したものです。


車両基地近くの踏切で撮影。キハ2300形2309-2310。
キハ2300は、一言で言えば「キハ2100を電気指令式ブレーキに変更したもの」。
2連5本が在籍。

キハ2303-2304は9月の豪雨被害の際、検査中で避難できず被災。
現在は修理を終えて復活している。


キハ310形317-318。
キハ310は国鉄キハ10系の車体更新車(※)で、1977年~1979年に311~318までの8両が更新されて在籍していたが、その内、大栄車輛で更新された311-312は1996年に廃車されており、現在は新潟鐵工所で更新された313~318の6両が在籍。
現在はエンジン・台車換装、冷房化、貫通幌設置、行先表示器設置とそれに伴う前照灯移設が行われており、後に登場するキハ0と外観上の差異は殆どない。
(雨樋が埋め込まれていない点が識別箇所。キハ0は埋め込まれている。)

キハ350無き今、常総線に在籍する複線用(2両編成)車両唯一の非ユニット車両であり、連結面側の連結器が運転台側と同じく密自連のまま。

キハ313-314は旧塗装に復元されている。
このキハ318のみ、種車がDT22・TR51に換装されていたことから、更新当初より台車がDT22・TR51である。
また、キハ314は付随台車もDT22で代用している。


キハ0形003-004。
キハ0は国鉄キハ20系の部品を流用して新製された車両(※)で、1982年~1984年に001~008までの8両が登場。現在も全車在籍。
常総線初のユニット車両(001-002といった組み合わせ)で、新製当初より連結面側に貫通幌が設置されている他、連結面側の連結器に半永久連結器を採用している。
現在はエンジン換装、冷房化、運転台側貫通幌設置が行われている。

キハ005-006は9月の豪雨被害の際、検査中で避難できず被災。
現在修理中。


キハ300形301。
元国鉄キハ30 16→筑波鉄道キハ301で、1987年の筑波鉄道廃止に伴い常総線に移籍。
20m級の大型車体に両開き3ドア、ロングシートと、常総線の輸送実情にマッチしていること、1980年代以降キハ35系の廃車が進行し始めていたことから大量購入に繋がり、最多でキハ300が16両、キハ350(元国鉄キハ35・36)が23両の39両が在籍していた。
1997年以降、新型キハの投入が相次ぎ、現在は単線用ワンマンに対応しているキハ101、102(元キハ306、3013。さらに元をたどればキハ30 55と96)を除き廃車となり、最後まで在籍していたキハ350はフィリピンへ譲渡された。

キハ101、102も運用には就いておらず、9月の豪雨被害の際、避難対象にすらならず被災。
修理もされていないことから、このまま廃車になるものと思われる。

この後鬼怒川の様子を少し見た後、秋葉原へ行き画集を購入。
(MRCは既に予約済みのため省略。)
そして昼食の後、今度は「もう一つの関東鉄道」こと竜ヶ崎線へ。


キハ532形532。
キハ532はキハ0同様、国鉄キハ20系の部品を流用して新製された車両(※)で、1981年に532の1両だけが登場。現在も「竜ヶ崎線のヌシ」として在籍。
現在はエンジン換装、冷房化、貫通幌設置が行われているが、行先表示器は設置されておらず、かつての関鉄スタイルを程良く残している。

運用日は公式サイトに掲載されているほか、主力のキハ2000が検査入場した際は2両編成運用にも使用される。

一日で2つの関東鉄道が楽しめました。

明日帰ります。
今日から冬休み。
去年はいすみ鉄道のお世話になりましたが、今年は関東鉄道のお世話になることに。

今日はただ単に移動し、秋葉原のIMONでC59用の赤プレート(最後の1個)を購入。
その後、Nゲージとして製品化された(される)ものの、実車を1枚も撮ってない3車種を撮ることに。


舟堀にて。都営10-000形10-260F。

1971年に試作車が登場、その後1980年の新宿線開業~延伸~急行運転開始などの情勢に合わせ、1997年までに8連28本が登場。
最後の2本は東武30000系に準じたデザインが特徴。

この形式は当時新宿線で使用していたATCの関係上、VVVF化が出来なかったことから最後の最後までチョッパ制御を貫き通している。

ATC更新に伴い、VVVF車の入線が可能になったことによる10-300形の投入が相次ぎ、急激に数を減らしたため、現在在籍しているのは1988年以降製の10-220F以降の7本のみ。



京成高砂にて。京成3600形3678編成。

京成一般車初の界磁チョッパ制御車として1982年に初登場し、以後1989年までに6連9本が登場。
その後の組み替えにより、現在は8連6本と「ブツ6」に見立てた6連1本全54両が在籍。

8連は現在まで一貫して、京成としては異例の両端クハのため、都営浅草線西馬込へは直通できるものの京急への直通が出来ず、従ってその殆どが西馬込-京成佐倉の快速運用に就いている。
(その他、京成線内特急(京成本線経由)運用にも就いている。)

組み替え6連は両端モハになったので、京急への直通が可能になったが、6連での直通運用が存在しない。

何れも車体更新されていないため、少々危機感を感じる。

 
取手にて。関鉄キハ2100形2103-2104。
1963年製のキハ900以来、実に30年ぶりとなる完全新製車で、関鉄新型キハの第1号。
ブレーキは従来通りの自動空気式のため、旧型キハとの連結が可能。

今日は日差しに当たってると、とても暖かかったです。

明日は水海道の車両基地でも見に行こうかな?
久しぶりの3連休。
今日は「日本一短い単線鉄道」こと紀州鉄道を訪問しました。

紀州鉄道は御坊-西御坊の僅か2.7kmを結ぶ鉄道で、これまた貴重な2軸レールバスが走る最後の鉄道でもあります。


これがそのレールバス。
キテツ1形のキテツ-2。

元は北条鉄道のフラワ1985形(フラワ1985-1)で、1985年富士重工製。2009年に紀州鉄道へ。
車体構造もバスそのもので、耐用年数15年程度のレールバスを実に30年走らせていることになる。

もう1両のキテツ-1は検査期限が切れており休車中で、現在はこのキテツ-2のみで運行しているという厳しい状況。
これでキテツ-2に不具合が起これば運行できなくなることから、先日信楽高原鐵道での運用を終えたSKR301が譲渡されることになった。

SKR301が運用に入れば、キテツ-2が予備車に回り、キテツ-1が廃車になると予想される。


ところで、紀州鉄道は現在でこそ営業距離2.7kmだが、26年前の1989年3月末までは0.7km長く、日高川駅という駅があった。
西御坊駅から続く線路を辿ると、歩いて10分程度で日高川駅跡に着く。
廃線跡には線路が大多数残されており、日高川駅のホームや、踏切の警報器まで残されている箇所もある。

 
キテツ1形が2両体制になるまで活躍した、かつての主力キハ600形(キハ603)。
1960年に新潟鉄工で製造され、大分交通耶馬渓線で活躍した後、1975年の同線廃止に伴ってキハ604と共にやってきた。
キハ604は既に解体されているが、キハ603は保存されている。

実は当初、西御坊到着後すぐ日高川まで歩き、その後すぐ引き返して西御坊から乗るか、西御坊到着後日高川に行かず、真っ直ぐ紀伊御坊まで戻るかを選択制にしたのですが、
・どちらも距離が短い
・自分の脚力を試したい
ということで、両方とも実施。
これが上手くいけました。
流石、距離が短いだけあるなと。

御坊を発ったのも早かったので、午後からは貴志川線でまた貴志まで。
たま駅長の後任ニタマ駅長(前伊太祁曾駅駅長)に会いに行きましたよ。

天候が心配でしたが、一度も雨に逢わず良かったです。

明日は昼から彦根へ行きます。
今日は、先日整備した山陽3050系と都営10-000形の試運転を実施…。
の前に、1つだけやっておきたいことがありました。


南海7000系が今月末を最後に引退するので、最後の雄姿を収めようと。

先々月にも撮ってるのですが、その時とは看板が異なり、130周年→さようならに。
いよいよ、引退を実感させてくるようになりました。

1963年の初登場から、実に52年に亘り活躍を続けてきた7000系ですが、みさき公園内部の「わくわく電車ランド」にてモハ7033(旧塗装)とモハ7041(現行塗装)の2両が、前頭部だけとはいえ保存されています。
(なので完全消滅は免れている。)

7000系の次は7100系ですね。
その次は、2200系ではないかと。
今日は日帰りで滋賀県の東側(湖東)の内、2か所を訪れました。


1か所目は信楽。
こちらは以前より計画を立てていたもの。

信楽は信楽焼という陶芸が有名で、特に狸が有名。
駅前には巨大な狸が居座っている。


信楽高原鐵道待望の新車、SKR401。(敷地外より撮影。)
今月搬入されたばかり。

これが単なる輸送力増強用なのか、SKR205置き換え用なのかは不明。


信楽駅を訪問した後は、信楽高原鐵道で最も忘れてはならない場所へ。

ここは、今から24年前の1991年5月14日午前10時35分頃、JRからの直通列車と信楽高原鐵道の列車が正面衝突した場所。
この事故では42名もの尊い命が奪われ、614名もの負傷者を出した。

現在、この場所には慰霊碑が立てられている。
(勿論、黙祷を捧げました。)

信楽駅にも、「セーフティーしがらき」という資料展示コーナーが設けられている。


この路線を訪れて、改めて、「安全とは何か」を考えさせられました。


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ステンレス車体・界磁チョッパor界磁添加励磁制御の通勤型電車(主にJR205系と東武10030系)を支援しています。
最近は動態保存蒸機を追いかけたり、Nゲージ鉄道模型にハマっています。
時折MMD触ったりもしてます。
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